「世間が必要としているものと、あなたの才能が交わっているところに天職がある。」
この引用は、アリストテレスの思想を現代的に解釈した表現のように思われますが、厳密にはアリストテレス自身がこの言葉をそのまま述べた記録はありません。彼の著作『ニコマコス倫理学』や『政治学』では、人間の幸福や「徳」(アレテー)を追求することが重要であると説かれています。
アリストテレスの幸福論によれば、真の幸福(エウダイモニア)は、人間の「最高善」や「徳」が実現されるときに達成されるとされています。この文脈で、才能(徳の一部)を活かして他者や社会に貢献することは、幸福の一部として考えられるでしょう。
関連する現代的解釈
この考え方は、日本では「生きがいの図」として知られるフレームワークにも似ています。そこでは、「やりたいこと」「得意なこと」「社会が必要とすること」「報酬が得られること」が交わる場所が天職や生きがいであるとされています。
つまり、この引用はアリストテレスの思想のエッセンスを汲み取って、現代風に要約された表現と考えられます。
あなた:
アリストテレスは、「暇こそ幸せ」みたいなニュアンスの事を言いましたか?
はい、アリストテレスは「暇(余暇)」に関連する考え方について述べています。ただし、彼の言う「暇」とは、単なる何もせずに過ごす時間ではなく、高貴な活動や自己実現、知的探求に充てられる時間を指しています。この考えは、彼の著作『政治学』や『ニコマコス倫理学』に見られます。
アリストテレスの「暇(σχολή, scholé)」の概念
アリストテレスは「仕事(労働)」と「余暇」を区別して考えていました。
彼にとって労働(ἀσχολία, ascholia)は、生活の必要を満たすための活動であり、幸福そのものを得るためのものではありません。
一方、「余暇(σχολή, scholé)」は、哲学、学問、芸術、そして「知的活動(テオリア)」に費やされる時間であり、これこそが人間にとって本当に価値のある活動だと考えました。
アリストテレスは『政治学』で次のように述べています(趣旨):
「余暇をどのように過ごすかが、私たちが本当に追求すべき幸福の核心である。」
彼の思想では、余暇の時間を「徳(アレテー)」を実践する活動や、知的・精神的な向上のために使うことが、真の幸福(エウダイモニア)につながるとされています。
現代とのつながり
アリストテレスの考え方は、「暇こそ幸せ」という現代的な解釈に近いものですが、それは「何もしない暇」ではなく、「価値ある活動を行う自由な時間」を意味します。この視点は、現代でも「余暇の質」が幸福に影響を与えるという考え方として受け継がれています。