ローマ帝国
ローマ帝国は、西ローマ帝国と**東ローマ帝国(ビザンティン帝国)**に分かれており、滅亡の時期はそれぞれ異なります。
西ローマ帝国の滅亡:
西ローマ帝国は、476年にゲルマン人の傭兵隊長オドアケルによってロムルス・アウグストゥルス皇帝が退位させられることによって滅亡しました。
東ローマ帝国(ビザンティン帝国)の滅亡:
東ローマ帝国は、1453年にオスマン帝国のメフメト2世によってコンスタンティノープルが攻められ陥落し滅亡しました。
ローマ帝国が滅ぼされたのは西暦1453年
結論:
西ローマ帝国は476年、東ローマ帝国は1453年に滅ぼされました。
もともとのイスラエルの土地(現在のイスラエルおよびパレスチナ地域)は、ローマ帝国の支配下にあり、その後、**東ローマ帝国(ビザンティン帝国)**の支配下に含まれました。
ローマ帝国時代:
紀元前63年、ローマ共和国がユダヤ王国を支配下に置き、ローマ帝国の一部となります。この時期、地域は「ユダヤ」として知られていました。
ローマ帝国が分裂した後、この地域は主に東ローマ帝国の支配下にありました。
西ローマ帝国の滅亡(476年)後、地域は東ローマ帝国(ビザンティン帝国)の支配下に残りました。
東ローマ帝国はこの地域を「パレスチナ」と呼び、支配を続けました。「パレスチナ」という名称が使われるようになったのは、**東ローマ帝国(ビザンティン帝国)**の時代です。
東ローマ帝国(ビザンティン帝国)は、4世紀後半から6世紀初頭にかけてこの地域を支配し、キリスト教を広めました。
「パレスティナ」という名前は、ペリシテ人(Philistines)の名前に由来しますが、その当時ペリシテ人が住んでいたからではありません。
ローマ帝国がユダヤ人の民族的アイデンティティを弱めるために、反乱鎮圧後の西暦135年に、ユダヤ地方を「パレスティナ」と改名しました。
ペリシテ人は古代カナン地方の沿岸地域(現在のガザ周辺)に住んでいた民族で、旧約聖書にも頻繁に登場しますが、紀元前6世紀頃には歴史上から姿を消しています。
つまり、ローマが「パレスティナ」という名前を採用した時点で、ペリシテ人はすでに存在していませんでした。
この名前は、ローマがユダヤ人の土地に対してあえて別の民族名を用いることで、ユダヤ人とこの土地の結びつきを断ち切る象徴的な目的で使われたと考えられています。
そのため、「ペリシテ人の土地」という歴史的な事実よりも、政治的意図が強い名称変更だったと言えます。
イエスの死亡後〜パウロの死亡までの期間その当時のローマ帝国は多神教が主流で、主にギリシャ神話由来の神々(ジュピター、ミネルヴァなど)を信仰していました。また、皇帝崇拝も重要な宗教的要素として広まりつつありました。