イスラエルの12支族

旧約聖書のイスラエルの12支族のそれぞれの名前は何ですか?

旧約聖書に記されているイスラエルの12支族の名前は、ヤコブ(イスラエル)の12人の息子たちに由来しています。以下がその一覧です:

ルベン(Reuben)
シメオン(Simeon)
レビ(Levi)
ユダ(Judah)
ダン(Dan)
ナフタリ(Naphtali)
ガド(Gad)
アシェル(Asher)
イッサカル(Issachar)
ゼブルン(Zebulun)
ヨセフ(Joseph)(後にエフライム族とマナセ族に分かれる)
ベニヤミン(Benjamin)
ただし、12支族の構成は文脈によって変わる場合があります。

たとえば、レビ族は祭司として特別視され土地を持たないため、ヨセフの子であるエフライムとマナセが代わりに加えられることがあります。このようにして12支族が保たれる仕組みになっています。文字数:196

この中の10支族が行方不明になったことはありますか?

はい、旧約聖書や歴史の中で、「イスラエルの失われた10支族」として知られる出来事があります。

何が起きたのか
紀元前722年、アッシリア帝国が北イスラエル王国(イスラエル王国)を征服しました。このとき、北イスラエル王国に属していた**10支族(ルベン、シメオン、イッサカル、ゼブルン、ダン、ナフタリ、ガド、アシェル、エフライム、マナセ)**の人々がアッシリア帝国のさまざまな地域に強制移住させられ、その後の行方が不明になったとされています。

例外
ユダ族とベニヤミン族は、南ユダ王国に属していたため、アッシリアの侵略を免れました。また、レビ族は祭司として全国に散らばっていたため、完全には消えませんでした。
行方不明の意味
「失われた」とされる理由は、これらの10支族が地理的にも文化的にも同化したり消滅したと考えられているためです。一部の伝説では、彼らが遠方に逃れたり、他の民族と融合したとされています。

結論
10支族の行方は、歴史的・神学的に謎が多く、さまざまな伝説や仮説の題材となっています。

その後のユダヤ人の歴史は主にその残りの2支族の歴史が記録されてる。と考えてもよいですか?

はい、その通りです。その後のユダヤ人の歴史は、主にユダ族とベニヤミン族を中心に展開されていきます。

理由
南ユダ王国の存続
 アッシリアによる北イスラエル王国の滅亡後、南ユダ王国(ユダ族とベニヤミン族が主体)が存続しました。この王国が紀元前586年にバビロン帝国に滅ぼされるまでの間、独自の歴史を刻みました。

バビロン捕囚と復帰
 バビロン捕囚(紀元前586~538年)で、南ユダ王国の住民が捕らえられますが、ペルシア帝国の支配下で解放され、エルサレムに戻ります。この復興の中心となったのがユダ族とベニヤミン族でした。

ユダヤ人の語源
 「ユダヤ人(Jew)」という言葉は、「ユダ族(Judah)」に由来します。これにより、ユダ族が民族のアイデンティティの中心となりました。

レビ族の役割
 レビ族は祭司としての特殊な役割を持ち続け、全体的な宗教生活の支えとなりましたが、土地を持たないため政治的な中心にはなりませんでした。

結論
その後のユダヤ人の歴史は、実質的にユダ族とベニヤミン族を基盤に進んでいったと考えて差し支えありません。

アッシリア帝国に滅ぼされた事が書かれている箇所は、聖書の、なに記ですか?

アッシリア帝国による北イスラエル王国の滅亡が記録されているのは、旧約聖書の「列王記下」17章です。

内容の概要
列王記下 17:1-6
 イスラエル王ホセアの時代にアッシリア王サルゴン2世(またはシャルマネセル5世)が侵攻し、北イスラエル王国の首都サマリアを包囲します。その結果、サマリアは陥落し、イスラエルの住民はアッシリアに捕囚として連行されます。

列王記下 17:7-23
 北イスラエル王国が滅びた原因として、イスラエルの民が偶像崇拝を行い、神との契約を破ったことが挙げられています。この箇所は、歴史的記録というよりも神学的な解釈が強調されています。

他の関連箇所
歴代誌下 30:6-9
 北王国の滅亡後、ヒゼキヤ王が残された者たちに悔い改めを促す場面があります。

預言書(イザヤ、ホセア、アモス)
 これらの預言者は、北王国滅亡の背景や神の警告を預言として記録しています。

結論
アッシリア帝国による北イスラエル王国の滅亡は、「列王記下」17章に最も詳しく書かれています。他の箇所はこれを補足的に描いています。

ユダ族は、ユダヤ人やユダヤ教の由来になりました。が、ベニヤミン族は主役にはなれなかったのですか?

ベニヤミン族はユダ族と共に南ユダ王国を構成していましたが、歴史的にユダ族ほど主役にはなりませんでした。その理由を以下に説明します。

1. ユダ族の圧倒的な存在感
ユダ族は南ユダ王国の主要な支族であり、王族(ダビデ王朝)がユダ族出身であることから、政治的にも宗教的にも中心的な地位を占めていました。
メシア(救世主)もダビデ王の血統から出るとされ、ユダ族は特別な象徴性を持ちました。
2. ベニヤミン族の規模の小ささ
ベニヤミン族はユダ族に比べて規模が小さく、勢力も限られていました。そのため、歴史や宗教的な物語の中で目立つ役割を果たすことが少なかったのです。
3. パウロのような例外
ベニヤミン族が完全に影が薄いわけではありません。例えば、新約聖書のパウロ(サウロ)はベニヤミン族の出身であることを誇りにしています(ローマ人への手紙11:1、フィリピ3:5)。このように、一部の重要人物はいますが、全体的な影響力はユダ族には及びません。
4. 北イスラエルとの違い
南ユダ王国滅亡後もベニヤミン族の人々はユダ族と一体化し、ユダヤ人の一部として存続しました。そのため、独自のアイデンティティは薄れ、ユダ族の歴史の中に吸収された形となります。
結論
ベニヤミン族はユダ族と共に重要な役割を果たしましたが、ユダ族ほどの象徴性や支配的地位は持たなかったため、歴史の「主役」としては目立たなかったのです。

バビロンに滅ぼされたのは、聖書のなに記に書かれてますか?

南ユダ王国がバビロン帝国に滅ぼされた出来事は、旧約聖書の「列王記下」25章と**「歴代誌下」36章**に記録されています。

列王記下 25章
バビロン王ネブカドネザルがエルサレムを包囲し、紀元前586年に南ユダ王国を滅ぼした詳細が書かれています。
エルサレムの破壊、神殿の焼失、民の捕囚が描かれています。
歴代誌下 36章
南ユダ王国の滅亡を、神の裁きとして記述しています。
捕囚の原因として、王や民が神に背いたことが強調され、バビロン捕囚が神の計画の一部であるとされています。
関連する預言書
エレミヤ書やエゼキエル書には、バビロン捕囚に至る経緯やその神学的な意味が詳しく記されています。
結論
南ユダ王国の滅亡とバビロン捕囚は、「列王記下」25章と「歴代誌下」36章が主要な記録箇所で、それを補足する形で預言書がその背景を伝えています。

列王記 英語で kings というとおり、歴代のユダの王国のそれぞれ王の行い功績を記したものですよね。
上下巻で何人分の王の事が記録されていますか?

「列王記」上下巻に記録されている王の数は、北イスラエル王国と南ユダ王国を合わせて以下の通りです:

1. 北イスラエル王国
北イスラエル王国には19人の王がいました。
初代ヤロブアム1世から最後のホセア王までが記録されています。
2. 南ユダ王国
南ユダ王国には20人の王がいました。
初代レハブアム王から最後のゼデキヤ王までが記録されています。
合計
両国の王を合わせると、39人の王の事績が記されています。
ただし、列王記では時に詳細な記録がない王や、その統治について批判的な記述も見られます。
補足
列王記は歴史的記録であると同時に、神の視点から王の行いを評価するという宗教的要素が強いです。特に、王が神の律法に従ったかどうかが大きな焦点です。
結論
列王記上下巻には、北イスラエル王国の19人と南ユダ王国の20人、合計39人の王の事績が記録されています。

ヒゼキヤ王の相談役として予言者イザヤが出てきますが、これはイザヤ書のイザヤですか?

はい、ヒゼキヤ王の相談役として登場する預言者イザヤは、「イザヤ書」の著者とされる同じイザヤです。

背景
イザヤは南ユダ王国の預言者で、紀元前8世紀ごろの人物です。
ヒゼキヤ王の時代(紀元前715~686年ごろ)に活動しており、「列王記下」や「歴代誌下」にも彼の働きが記録されています。
具体的なエピソード
アッシリア侵攻時の助言(列王記下 19章、イザヤ書 37章):
 アッシリア軍がエルサレムを包囲した際、ヒゼキヤ王が神に祈るよう助言し、イザヤを通じて神の守りが預言されました。
ヒゼキヤの病の癒し(列王記下 20章、イザヤ書 38章):
 ヒゼキヤが重病に倒れた際、イザヤが彼の回復と寿命の延長を預言しました。
イザヤ書の視点
イザヤ書の前半部分(特に1~39章)は、主に彼の時代の出来事や神の裁き、救済の預言に焦点を当てています。ヒゼキヤ王との関わりもその一部です。
結論
ヒゼキヤ王の相談役として登場するイザヤは、「イザヤ書」の預言者と同一人物です。彼の活躍は列王記やイザヤ書に詳しく記されています。

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