東ローマ帝国(ビザンツ帝国)は 1453年にオスマン帝国によって滅亡 しましたが、その後、コンスタンティノープル(現イスタンブール)や周辺地域に イスラム教徒(特にアラブ人)が住むようになった経緯 は、主に以下の要因によります。
1. オスマン帝国の征服とイスラム化
オスマン帝国は トルコ系のイスラム国家 でしたが、支配地域にイスラム教を広め、征服地にモスクを建設し、トルコ人やイスラム教徒の移住を促しました。
アヤソフィア大聖堂 はモスクに転用され、イスラムの支配を象徴するものとなりました。
2. アラブ人の移住の背景
オスマン帝国は 広大な領土 を持ち、アラブ世界(シリア、エジプト、イラクなど)も支配下にありました。
商人・学者・官僚 などのアラブ人が、帝国内の要職につき、コンスタンティノープルを
実は、パレスチナにアラブ人が住むようになった経緯は、オスマン帝国の影響だけではなく、もっと長い歴史の流れがあります。
1. イスラム帝国による征服(7世紀)
パレスチナ地域は、7世紀前半(西暦636年)に正統カリフ時代のイスラム勢力(アラブ軍)によってビザンツ帝国から征服 されました。ウマル・イブン・ハッターブ(第2代カリフ)がエルサレムを平和的に掌握し、それ以来 アラブ系の人々(ムスリム、キリスト教徒、ユダヤ教徒)が共存 する社会が形成されました。
2. アラブ人の定住と文化的変化
イスラム支配のもとで、アラビア語とイスラム文化が広がり、地元のセム系住民(シリア語を話すキリスト教徒やユダヤ教徒)も次第にアラブ化していきました。
3. オスマン帝国時代(1517年~1917年)
オスマン帝国の統治下で、アラブ人の居住はさらに安定し、パレスチナの都市(エルサレム、ヤッファ、ヘブロンなど)には 多様なアラブ人コミュニティ が発展しました。
つまり、現在のパレスチナのアラブ人は、7世紀からのイスラム化・アラブ化の過程を経て定着 した人々であり、オスマン帝国もその流れを強化した要因の一つということです。
はい、由来は同じです。「Ottoman Empire(オスマン帝国)」 の「Ottoman」が、トルコ風の家具(特に足置き)を指すようになりました。もともとオスマン帝国のスタイルを模したインテリアがヨーロッパで流行し、そこから「オットマン(足置き)」の意味が定着しました。
アヤソフィア大聖堂は東ローマ帝国(ビザンツ帝国)のユスティニアヌス1世 によって 532~537年 に建設されました。もともとはキリスト教の大聖堂として使われましたが、1453年のオスマン帝国によるコンスタンティノープル征服後にモスク へと改修されました。1935年には博物館 になり、2020年に再びモスクへ 戻されました。