エルサレムの嘆きの壁(Western Wall)は、ヘロデ神殿を囲んでいた外壁の西側の壁です。
この壁は、神殿そのものではなく、神殿の土台を囲む外壁の一部で、ヘロデ王による第二神殿の拡張時に建てられたものです。
はい、第二神殿は第一神殿があった同じ場所(エルサレムの神殿の丘、モリヤ山)に建てられました。
第一神殿はソロモン王によって建設されましたが、紀元前586年にバビロニア軍により破壊されました。その後、バビロン捕囚から解放されたユダヤ人が帰還し、紀元前516年に再建したのが第二神殿です。時代の順番で「第一」「第二」と呼ばれています。
エルサレム神殿の正面(入口)は東向きです。これは、日の出の方向に向けて設計されており、ユダヤ教の象徴的な配置として重要視されています。現在の「嘆きの壁」は西側の壁です。
その通りです。「嘆きの壁」は神殿の背中側(西側)の敷地の土台部分の壁です。神殿そのものではなく、神殿が建っていた広場を支える基盤の一部にあたります。
はい、岩のドームの礼拝堂は、エルサレム神殿があった場所、つまり「神殿の山」(ハラーム・アル=シャリーフ)に建っています。
ここはユダヤ教、キリスト教、イスラム教にとって聖地であり、岩のドームの下にある岩は、伝説によれば、神殿の最も神聖な場所である「至聖所」があった場所とされています。このため、岩のドームはエルサレム神殿跡地の中心に位置していると考えられています。
キリスト教にとって、岩のドームは直接的な宗教的な意味は薄いですが、エルサレム全体が非常に重要な聖地とされています。
イエス・キリストが十字架にかけられ、復活した場所として、エルサレムはキリスト教徒にとって象徴的な都市です。岩のドームの位置は、エルサレム神殿があった場所に建っているため、間接的に聖書の記述や神殿に関連する場所としての意味を持っています。ただし、キリスト教の儀式や信仰の中心は、岩のドームではなく、ゴルゴタの丘や聖墳墓教会にあります。
はい、イエス・キリストが鞭を持って商人を追い出したエピソードは、エルサレム神殿で起こったとされています。
この出来事は、新約聖書のすべての福音書に記録されており、特に神殿の中で商取引や金銭のやり取りが行われていたことに対してイエスが強く反発し、神殿を清めようとした行動として描かれています。キリストは神殿を「祈りの家」として尊重すべきだとし、商売を行う場所として使うことに怒りを表しました。
イエスが商人たちを追い出した際、言った言葉は「わたしの家は、すべての国のための祈りの家と呼ばれるべきだ。しかし、あなたがたはそれを強盗の巣にしてしまった」(マタイ21:13)というものです。
イエスは商人たちや物を売る者を神殿から追い出し、神殿を清めましたが、暴力的にボコボコにしたわけではなく、鞭を使って物理的に追い出したという描写があります。怒りの表現でしたが、殺傷的な暴力とは違います。
はい、このエピソードはマタイ書だけでなく、他の福音書にも記録されています。具体的には、次のように記述されています:
マルコによる福音書(マルコ11:15-19)
ルカによる福音書(ルカ19:45-48)
ヨハネによる福音書(ヨハネ2:13-22)
これらの福音書では、イエスが神殿で商人たちを追い出し、神殿を「祈りの家」として清めるエピソードが描かれています。