コーラン.神の一人称で語られた形式

コーランって全編を通して、神の一人称で語られた形式なんですか?

コーラン(クルアーン)は、イスラームの聖典であり、その大部分は神(アッラー)の一人称で語られています。ただし、必ずしも全編が神の一人称で統一されているわけではありません。以下にいくつかの特徴を挙げます:

神の一人称:多くの節(アーヤ)では、神が直接語りかける形で記述されています。例えば、「われ(アッラー)はこれこれを命じる」といった表現が頻繁に登場します。

預言者ムハンマドへの指示:一部の節では、神が預言者ムハンマドに対して指示を与える形で語られています。例えば、「言え(ムハンマドよ)」という形で始まる節があります。

第三者視点:一部の節では、神について第三者視点で説明する形も見られます。例えば、「アッラーはこれこれをなされた」といった表現です。

天使や人間の言葉:コーランには、天使や人間の言葉が引用されることもあります。例えば、天使ジブリール(ガブリエル)や他の預言者たちの言葉が登場します。

まとめると、コーランは主に神の言葉として語られていますが、必ずしも全編が神の一人称で統一されているわけではなく、さまざまな語り口が混在しています。

一人称での語りは、全体の何パーセントにあたりますか?

コーラン(クルアーン)における神の一人称での語りの割合を正確に算出するのは難しいですが、一般的にコーランの大部分は神の言葉として語られています。具体的な割合については、研究者や注釈者によって見解が異なることがありますが、おおよそ以下のような特徴があります:

神の一人称(「われ」や「我々」):コーランの多くの節で、神が直接語りかける形で記述されています。この形式は非常に頻繁に見られ、全体の相当部分を占めると考えられます。

預言者ムハンマドへの指示(「言え」):一部の節では、神が預言者ムハンマドに対して指示を与える形で語られています。これも神の言葉の一部と見なすことができます。

第三者視点や他の語り口:一部の節では、神について第三者視点で説明する形や、天使や人間の言葉が引用される形も見られます。

正確な割合を出すためには、各節を詳細に分析する必要がありますが、一般的には神の一人称での語りがコーランの大部分を占めると考えられます。具体的な数値については、研究や統計によって異なる可能性がありますが、おおよそ70%から80%程度が神の一人称での語りとされることが多いです。

ただし、この数値はあくまで推定であり、正確な割合を確定するためにはさらなる研究が必要です。

新旧聖書のように、三人称の場合は著者名がわかったりしますか?

コーラン(クルアーン)は、イスラームの教えにおいて神(アッラー)の言葉そのものとされ、預言者ムハンマドを通じて人類に伝えられたとされています。そのため、コーランには「著者」という概念が存在せず、三人称で語られる部分でも特定の人間の著者名が明記されることはありません。コーランのテキストは、神の啓示として受け取られ、ムハンマドはそのメッセージを伝える「使者」と見なされています。三人称で語られる部分も、あくまで神の言葉として記述されており、人間の手による著作とはみなされません。これに対し、新旧聖書は複数の著者によって書かれた文書の集合体であり、その中には人間の視点や経験が反映されています。コーランはそのような構造ではなく、一貫して神の言葉として扱われる点が特徴的です。

2番。神からのムハンマドへの命令 の箇所は 10章まででありますか?

コーラン(クルアーン)において、神から預言者ムハンマドへの命令を示す「言え(قُل, qul)」という形式の節は、10章(スーラ)以降にも登場します。この形式は、コーランのさまざまな章に散りばめられており、特定の章に限定されていません。

例えば、以下のような節が有名です:

第112章「純正章(アル=イフラース)」:
「言え(قُل):『かれはアッラー、唯一なる御方である。』」

第113章「黎明章(アル=ファラク)」:
「言え(قُل):『私は夜明けの主に庇護を求める。』」

第114章「人間章(アン=ナース)」:
「言え(قُل):『私は人間の主に庇護を求める。』」

これらの章は、コーランの後半部分に位置しています。また、10章以降にも「言え(قُل)」という形式の節は多く見られます。例えば、第16章(蜜蜂章)や第18章(洞窟章)などにも同様の表現があります。

したがって、神からムハンマドへの命令を示す「言え(قُل)」という形式の節は、10章以降にも広く分布しており、特定の章に限定されていないことがわかります。

3番の三人称の箇所はどんなものがありますか?有名なものを一つ教えてください

コーラン(クルアーン)において、三人称で語られる箇所の有名な例として、第2章「雌牛章(アル=バカラ)」の第255節、通称「アーヤト・アル=クルシー(玉座の節)」が挙げられます。この節は、神の偉大さや超越性を三人称で説明する形で記述されています。

以下にその内容の一部を引用します(日本語訳):

「アッラーの他に神はなく、永生し、万物を維持される御方である。眠りもなく、睡りもない。天にあり地にあるものは、すべてかれのもの。かれの許しなくして、誰がかれにとりなすことができようか。かれは人々の行うことをも知っておられ、人々はかれの知るものの外には何も知ることができない。かれの玉座(クルシー)は天と地を覆う。その保持はかれにとって容易である。かれは至高にして至大である。」

この節は、神の属性や力について三人称で語られており、イスラーム教徒にとって非常に重要な節とされています。日常の祈りや記憶すべき節としても広く親しまれています。

三人称で語られる箇所は、神についての説明や、預言者や過去の民の物語など、多岐にわたりますが、この「玉座の節」はその中でも特に有名で、コーランの核心的なメッセージを伝えるものとして尊重されています。